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 文化の日 管理人  2011年11月3日(木) 5:44
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 昔は明治天皇節・天長節だと記憶している。今日は文化の日祭日である。

今日誕生日の花は「菊」です。

 天皇家の紋章「菊」の花。花言葉は「私は愛する」となっています。

我が屋の庭には「祝い菊」が咲いている。

 菊はやはり黄色がいいですね。

 文化の日の今日〜♪ 加茂のしもちゃん♪  2011年11月3日(木) 19:19 [修正]
近くの京阪奈公園に行ってきました。周囲約1Kmの池のあっちこちの林の中に、芸術家たちのアートが展示されていました。
竹細工をやっていた一角で、大きめの竹をいただいて帰りました。
早速花瓶づくりに初挑戦〜@^^@

我ながら満足のいく竹の花瓶が完成です。
菊のお花を飾りたいところですが、残念ながら我家の庭の菊は、まだつぼみです。

ちょっとした芸術的名文化に触れた一日でした。。

 誕生日の花 管理人  2011年11月2日(水) 5:45
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 今日11月2日誕生日の花はサクラタデ(桜蓼)です。

あまり知られていない名前です。花言葉は「愛くるしい」です。

 山で見かけた事があります。

 バンザイのつづき 柴崎  2011年10月28日(金) 15:41
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私がまだ子供の頃。60年前、龍田川は三郷の高山を流れる川やでと聞かされていた。昭和30年、戦後途絶えていた祭を、私の父達が、祭を出そうと、我が家で連日会合をかさねていました。私は12歳、いつもいつも祭の話を聞いていました。知らず知らず龍田神社に詳しく成りました。先日の大正13年龍田町役場の、地籍図に塩田川と明記されていた事で、長年の謎が解けました。万葉集や百人一首で読まれたのは、三郷の川である事が確認できた。長年のもやもやを、これからは、皆さんに理解してもらえるように、ガンバロウと思います。斑鳩の竜田川は、命名されて、70年間違わないように、

 能楽 もりた  2011年10月27日(木) 17:37
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人生初めての能楽を大槻能楽堂にて鑑賞してきた。

竜田という芸で、あらすじはこうだ。
日本全国をめぐって六十六か国に法華経を納める僧が竜田の明神に参詣するために竜田川を渡ろうとすると、巫女が出てきて古歌を示しながら渡河をとどめる。巫女は僧を明神へ案内し宮巡りするが、やがて自分は竜田姫であると名のって社殿の内へ入ってしまう。その夜、神前で通夜をする僧の前に竜田姫が姿を現し、明神の縁起や効用を愛する竜田姫の紅色に寄せる心を語り、神楽を奏し、夜明けとともに天に上がり姿を消す。

伝統を感じ、いい経験になった。

 龍田川 管理人  2011年10月27日(木) 18:45 [修正]
 能楽には「龍田川」が良く出てくるらしい。
龍田川は龍田山から流れ下る川であり。斑鳩にある川ではない。
在平業平が「ちはや降る 神代も聞かず 龍田川 から紅に水くくるとは」
の有名な歌を詠んでいます。気を付けねばならないのは、竜田ではなく龍田です。竜の字を用いるのは不勉強のなのか、又は当て字のほうが書きやすいかのどちらかです。「龍」は中国から伝わった山岳思想であり、王家に許されたシンボルである。龍田山は大和朝廷の始発駅です。聖なる山です。
 竜の略字を用いるのは慎むべきだと思います。

 謎解き-4龍田川 柴崎  2011年10月26日(水) 10:18
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この春に、例の古図の龍田川から今の斑鳩の竜田川に移動したのか、三郷町、、柏原市、国土交通省大和川事務局、河内法務局、斑鳩町税務課等に調査に行き、県境の一番古い地籍図を見せてくださいといって調査を始めました。最後に斑鳩町税務課で大正13年12月、作製地籍図には、塩田川と有り、例の古図と同じだ。私に対応していた人に一枚のメモを女性職員がてわたしたそれには、s16年7月1日斑鳩町立公園から奈良県立公園になったと書かれていた。おおこれだ、70年前に名前が変えられた。やはり万葉集百人一種とおに、読まれた龍田川は三郷町に有る川だ。大きな謎が解けた。バンザイ。

 今日誕生日の花 管理人  2011年10月26日(水) 5:44
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 10月26日生まれの誕生日の花は「もようびゅ」だそうだ。
花言葉が気に入りました。
「燃え上がった情熱」とある。
ラジオ深夜便で知りました。今朝の歌は正岡子規の
 「柿食えば 鐘が鳴る鳴る 法隆寺」でした。

 謎解き-3 柴崎  2011年10月23日(日) 9:42
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桓武天皇の母高野新笠。王寺町の九度神社の人、今木の神と竈の神、平安京を作るとき御所を中心に祟り、穢れ、方よけを考え、寺神社を京の周りに、配置。平野神社を竈、台所の神として配置した。64代円融天皇-984-991に始めて天皇の参拝をされました。それから上皇になってから、光徳寺に、円融上皇勅願寺と門前に石柱があります。退位してから、先祖の足跡、新笠の故郷王寺、三郷をたずねた。桓武、新笠共に龍田、王寺九度、を大切にしていた。謎解き-2で業平、高望王もこの界隈にきたのも新笠を偲んだのだ。



 謎解き 管理人  2011年10月23日(日) 16:48 [修正]
 源氏と平氏のご先祖が山の東西にわかれて誕生している謎解きも解明してください。
 龍田山を中心に古代の盛衰が明らかになれば聖なる山の知名度が上がります。世の中にあまり知られていない現実を明らかにしていくのも桜の会の使命です。桜が大きくなって古代の名所復活も実現します。人々に吉野と肩を並べた桜の名所だと親しんで貰えば占めたものです。

 写真添付成功ですね。 como  2011年10月22日(土) 15:14
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やったー!ですね。

今まで簡単に出来ていたことが、パソコンを替えるとこんなに違うのかと、戸惑うことが多いですね。

そうなると、パソコンを触るのも楽しくなくなるし、でも、ひとつずつクリアーしていかないと、前に進みませんよね。

先ほど、雨の降りだし前に、三郷町の文化祭の展示物を拝見して来ました。

桜の会のメンバーの愛子さんの油絵も、堂々と輝いていましたよ。

知人やご近所さんの作品はチェックしておいて、後程、お会いした時に「見ましたよ〜」とお声掛けをしています。

今夜は久々に、家族が揃っての食事になります。

主婦の腕の見せ所ですね。



庭の山茶花です。

 5号園の柿 管理人  2011年10月22日(土) 11:46
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 龍田古道の中程、憩いの家のある5号園に柿の木が2本ある。
昨年腐葉土や化学肥料を施したお陰で今年は沢山の実を付けてくれた。
 地主湾田さんの了解を得て頂く事にした。
今年度は骨粉肥料を施そうかと用意している。来年の為に手入れしておく心算である。山の幸をボランテア参加者に貰って欲しい。

 謎解きその-2 柴崎  2011年10月20日(木) 16:48
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後堀河天皇の宣旨。安徳天皇は壇ノ浦で、海中に没するが、彼は7歳、彼には弟がいた。その孫が、源実朝暗殺された直後に帝に藤原氏の後押しで天皇に着いたのだ。その時8歳、すでに比叡山の得度を受けていた。還俗して、帝になったのだ。宣旨で光徳寺に300町歩の土地を寄進して、僧侶を三井寺より派遣します。土地の境界東は三室龍田川と明記されている。後堀河さんと、龍田神社の、安村氏は、清盛の甥なのだ。同じ時代のひとだ、平氏一族神社再建は簡単、氏神さま、帝は寺を氏寺と考えたのでは。しかし彼は、23歳で終わる。定歌に和歌の編集と氏寺、天皇家の菩提寺せんゆう寺を残している。

 光徳寺 管理人  2011年10月20日(木) 19:01 [修正]
 今朝、大城さんと2人、柿を下げて地主さんの湾田さん宅へ寄りました。光徳寺の前を通りました。山間の集落にあのようなお寺があること自体が不思議です。お寺には松永弾正の母君のお墓もある。
 時の天皇が深く関っていることからして、「畑千軒」と称される栄えた集落であったのでしょう。それはやはり製鉄の集落であったからに違いない。
 信貴山の松永弾正も畑千軒で生まれたのでしょうか。
鉄を制する者は国を征する例えがあります。お寺の近くに金山彦神社と金山媛神社の2社がある。製鉄の神様を祀っている。あまり知られていない話がこの谷間にはある。古代の秘められた扉を開くべきですね。

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